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コメは日本人の主食ではないの?!

ごはん

日本人の主食は?

と、聞かれると、『コメ』と即登する人が多いと思いますが、それはあくまで現代の話。

歴史を見てみるとそうともいえないのかもしれません。

現代の様に米をたくさん食べる事ができる様になったのは大正時代といわれています。ではそれ以前は日本人は一体なにを主食としていたのか?

まず『五穀豊穣』という言葉がありますが、ここにでてくる五穀とは、アワ、ヒエ、豆、麦、米の事。(ヒエの代わりにキビを加える場合もあります)古来から日本人が食べてきた主食はアワやヒエ、もしくはキビがほとんどで、米が中心というワケではなかったんですね。

戦国時代が終わり、江戸時代になっても米の生産量は主要農産物の半分程度しかなく、また庶民にとって白米は冠婚葬祭といった特別な日に食べるもので、普段は他の四穀や芋、大根などを米に混ぜたものを食べていました。

また戦国時代も庶民は少しの米でも腹が膨れるようにと、現代でいう『おかゆ』状態にして食べてもいました。

 

明治維新後、大正時代を経て農業技術が進み、ようやく庶民でもお腹いっぱいに米を食べる事ができましたが、日本の歴史単位で見てみると、米を主食といえるのは、100年ちょっとなんです。

ちなみにその後、米の消費量はどんどん増え、昭和1ケタ時代には一年間のひとりあたりの米の消費量は約140kgを越え、一日あたりの栄養カロリー摂取は7割が米から摂取していた時代になります。

しかしこの頃が日本人の米摂取ピークで、太平洋戦争が始まる頃から年々減り続け、また主食も米からパンに少しづつ変わっていき、農林水産省統計部の資料によると平成17年の日本人ひとりあたりの年間米摂取量は約61kg。

ピーク時の半分になってしまいました。

こうして見てみると、昭和1ケタ時代~太平洋戦争が始まる頃が日本人のコメ主食時代ではないかという意見が出てきても納得できそうな気がしますね。

お米